山に登る度、自然に触れる度に思う事。
人はモノが無ければ生きて行けません。
足を守る靴、暖かい衣服、休息を保証する寝具、雨風をしのぐ住居、食事を賄う調理器具、食べる喜びをもたらす食器、などなどなど。
自然の中に身を置くと、自分という存在の脆弱さや自然の怖さを目の当たりにします。
自分は身の回りのありとあらゆる人工物に守られて生きているのだと実感します。
私たちは進化の過程で毛皮や鋭い爪や強靭な牙を失う代わりに物を創る喜びを獲得しました。
幼少期の粘土細工、お絵かき、泥団子作りから始まる、モノを作るという行為は人間として産まれた私達が持つ原初の喜びなのです。
しかしいつからでしょうか?
私はモノに対して「買う」という選択肢しか見えなくなっていました。
欲しい物を探して、見つからなければ我慢する。
売り切れていたら他のもので妥協する。
そんな感覚が当たり前になったのは何故でしょうか?
思い当たる節は様々ですが、私の場合は忘れていたのでした。
自分の手でモノを生み出す喜びと、それを使う楽しみを。
このブログではそんな私の発見を綴っていきます。
みなさんにMYOGの楽しさを伝えられれば幸いです。